アイドルの卒業は実は〇〇を意味していた
昨日は、乃木坂46、生駒里奈さんの卒業コンサートが日本武道館で行われました。
僕は武道館にもライブビューイングにも行けなかったのですが、Twitterでセットリストを見てその順番で曲を流して武道館に思いを馳せていました。
最後の方はTwitterの画面がなんかよくわかんないけどボヤけてました。
もう三年以上使ってるこのiPhoneも替え時ですかね、、
こんにちは、みるきーふぁんとむ(@milkeyfantom)です。
街の葉はすっかり緑色になり、卒業シーズンからは早一ヶ月がたちました。
今年、どこかを卒業された方は、新しい生活に戸惑いながらも頑張って、ようやく少しづつ慣れてきた頃でしょうか。
そんな折、冒頭でも触れましたが、乃木坂46生駒里奈さんの卒業コンサートが行われました。今までも乃木坂の一期生たちが何人かグループを巣立って行きましたが、初代センターを務め、乃木坂の顔として知られる生駒ちゃんの卒業はグループにとって大きな意味を持つのではないでしょうか。
そこで今回は、アイドルの"卒業"について考えてみたいと思います。
こと乃木坂46においても、これまで十数名のメンバーがグループを卒業してきました。
その理由は様々で、学業専念から熱愛疑惑がきっかけとなってしまったものまであったようです。
特にここ2年間ほどの間に卒業したまいまい、ななみん、ひめたん、まりっかなどのメンバーは、4年以上乃木坂46にいたわけですから、ファンの思い入れも相当なものがあるでしょう。
生駒ちゃんに関しても、卒コンでの次の言葉は印象的でした。
(乃木坂に)入ってよかった。みんなに出会えて本当によかった。それしかない。
どこかを卒業する時に、こう思えることがいったいどれだけ幸せなことでしょうか。そしていったいどれだけの人が、こう思って卒業できるのでしょうか。
それだけ素晴らしい経験をしている彼女たちだからこそ、多くのファンが魅了させられているのだろうし、メンバー自身も、かけがえのないものと感じるのだと思います。
一方で、こうした"卒業"が本人たちにとって意味するものとは何なのでしょうか。
惜しまれながらの卒業、前向きな卒業、
それらはあくまでファンや、残ったメンバー
その中にいる人間が見出そうとするものです。
これから外に出て行く、卒業して行く人にとっては、
実は、進路の選択に過ぎないのではないでしょうか。
これをやりたい。
逆に、もうこれができない。
理由は何であれ、次へ進まなければいけない、選択しなくてはいけない。
だから卒業するのです。
それはアイドルであっても、僕たちが学校を卒業したりするのと何ら変わりません。
ではそれらは大して意味のないことでしょうか。
決してそうではありません。
卒業しても、仮に2度とその姿を見ることができなくなっても、
卒業する側、見送る側に忘れられない大切なものがあり、
ずっと思い続けてくれる人がいる。
ずっと思い出せる時間があるからこそ、
その大切なものを胸に頑張っていけるのではないでしょうか。
ファンとしては、生駒ちゃんはもちろん
色々なメンバーの"アイドル"としての姿を胸に刻んで
自分も頑張らなきゃなと、そう思いますね。