『「黄色い線の内側にお下がりください」は思考停止なのか』は思考停止なのか
明日は、ひらがなの舞台、明後日は乃木坂全握と、楽しみな週末を前にワクワクしながら今日も頑張ります。
全握は生駒ちゃん卒業セレモニーが延期されたようで、混雑必至でしょうけど、生駒ちゃんの最後の姿をしっかりとこの目に焼き付けてこようと思います。レポもあげますね。
こんにちは、みるきーふぁんとむ(@milkeyfantom)です。
なんだかよくわからないタイトルになってしまいました。
先日、こんな記事を目にしました。
ルールや基準というものは、それができるまでに経緯や理由があって、それらを基に設けられるものです。
黄色い線の場合は、昔は線なんてなくて、電車がくるときには人々は、自らの判断で、危険じゃないと思われる位置まで離れていたでしょう。それでも、その自らの判断が甘いものだったり、混雑していたりした時に、電車に接触してしまうようなことがあり、それでは困ると、鉄道会社が明確な基準を作ったのかもしれません。
とここまで考えたところで、1つの疑問にたどり着きます。
そもそもあれは、点字ブロックなのでは?
何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれませんが、あれが点字ブロックとして作られたのか、あるいは、点字ブロックの上に、黄色い線を付け加えたのか、はたまた、黄色い線の上に点字ブロックを作ったのか、このいずれかによってその経緯は異なるものになってくるはずです。
そう考えると、あれを「黄色い線」として捉えてしまっている時点で、もしかしたらその1つの視点で思考が停止してしまっているのではないでしょうか。
そもそも上記の記事の主旨は、別にルールや基準を疑えというものではないので、論点はずれてしまうかもしれませんが、身の回りにあるルールや基準に対して、その原理を考えたり、自分の意思で考えるのと同時に、その上で、そこで思考を停止させてはいないか、ほかの見方もないかということを考えるのも重要なのではないでしょうか。